令和6年度 卒業式

2025年03月03日

3月1日、早春の青空のもと、令和6年度卒業証書授与式を執り行いました。

保護者のみなさま、ご来賓の方々、教職員、そして在校生の温かい祝福を受けながら、新たな希望を胸に洋々とそれぞれの未来へ向かって百二十余名の生徒たちが大田高校を巣立っていきました。

普通科代表  理数科

▲卒業証書授与  普通科代表           ▲卒業証書授与 理数科代表

送辞  答辞

▲在校生代表 送辞               ▲卒業生代表 答辞

吹奏楽部   祝詞

▲卒業生思い出の曲の演奏で祝う吹奏楽部      ▲たくさんのご祝詞をありがとうございました

 

○○。○○。校長 式辞 ○○。○○。

この冬幾度となく耳にした「最強寒波」。

それもようやく鳴りを潜め、数日前からの陽気に職員室外の白梅もほころび、確実に春の訪れが感じられるようになりました。

 ただ今、卒業証書を受け取った普通科90名、理数科34名の皆さん。卒業おめでとう。

 この良き日にご臨席を賜りました 臼井 泉 瓶陵会長様、 恒松 勝 PTA会長様をはじめご来賓の皆様に感謝申し上げますとともに、保護者・ご家族の皆様、在校生、そして教職員一同とともに、皆さんの晴れの姿を心から祝福致します。

 さて、3年前の入学式のことを皆さんは覚えていますか?

 私は昨年度大田高校に着任しましたから、3年前の入学式のことは知りません。そこで、当時の入学式の職員会議資料を探してみました。すると、

  ・出席者は、マスク着用、入場の際の消毒等、感染症対策を。

  ・参列は新入生、教職員、生徒会長。来賓はPTA会長のみ、保護者は2名まで。2、3年生は臨時休業。

  ・式後のホームルームは生徒のみ。保護者はホームルームが終わるまで体育館等で待機。

このような記録が残っていました。まさに、新型コロナウイルス感染症真っ只中。そんな中で皆さんは大田高校に入学しました。様々な行動規制からはじまった3年間の高校生活を、地域の方々とともに学んだ地域課題解決学習、一人一台端末を利用したICT学習、そして友と学びあい教えあった協調学習などの新たな学びに取り組んできました。そしてコロナ禍以前の形に戻った学園祭、球技大会などの学校行事、部活動の大会やコンクールなど、夢や目標の実現に向かい、懸命に努力し成果を残してきました。そして、今、最上級生として後輩たちの範となり、立派に卒業するその姿を実に頼もしく思います。

今、世界はかつてない激しい変化にさらされています。世界を駆け巡る情報の量的・質的変化、生成AI普及への対応、新型コロナウイルスのような未知なる病気、押し迫る甚大化する自然災害。各地で収まらない国際紛争。国内に目を向ければ未曽有の人口減少社会。「VUCA時代」と呼ばれる予測不可能な時代です。このような先の見えない世の中に圧倒され、就職先、進学先で怯んでしまうことがあるかもしれません。しかし、本日大田高校卒業を迎えた皆さんは、高校生活を通じて「決める・語る・動く」力を鍛えました。皆さんにとって、変化する社会は好機、チャンス、です。そしてその変化を「面白い」と感じる気持ちを持つことが大切です。

こうした状況は、実ははじめての経験ではありません。今から、約150年前、江戸時代の後半から明治時代にかけての、明治維新の時期。日本は、以前とは比べものにならない量の人、物、知識や情報、そして富が国境を越えて一気に入ってきました。ドラマや映画化もされた漫画「仁」のモチーフになった、当時難病だったコレラの感染もこの時期に広がっていました。それは同時に、日本がそれまでにはなかった外の世界との新たな結びつきが始まったことだけでなく、未知のモノへ不安との戦いも繰り広げられていた、現代と非常によく似た時期だったといえます。

 その当時、勤王の志士として多くの仲間とともに明治維新を動かした一人、高杉晋作の辞世の句として、伝えられている言葉を皆さんに伝えます。

 「面白き こともなき世を(に) 面白く」

 毎日が不安に襲われ、面白いことなどないような世の中。でもそこで面白く生きていこう、ということの大切さを伝えているのだと解釈できます。

実は皆さんは、この大田の地で、大田高校の学びの中で、このように生きる多くの人に出会ってきたはずです。総合的な探求の時間で多くの地域の方に来ていただき、あるいはそこへ出かけていき、毎日を「面白く」、魅力的に、そして仲間とともに活動されている姿に触れたはずです。また、日々の仕事に誇りを持つ先生方や家族の皆さんの姿にもそれを見出した人もいるかもしれません。

面白いは英語ではInterestingと訳されます。「実に面白い」というドラマのセリフもあったように、深く、少し広い意味での興味・関心を示す言葉です。これからの日々の生活の中で、多くの「面白い」を見つけ、仲間を作り「面白く」生きてほしいと願っています。

ところで、今お話しした約150年前ごろの幕末から明治にかけての時期を、私は別の角度からも大変興味を持っています。それは、そのころまだ石見地方を含む日本海沿岸地域が、少し大げさに言えば日本国内の産業の先進地域だったことです。そのことは、当時から人口が多かった江戸(東京)、大阪などの都市部に伝統産業、伝統的工芸品というものがあまり見られないことからも明らかです。

この石見地方では、石見銀山の銀産出は減少していましたが、地下を掘る採掘技術はのちにセメントの原料の一部として国内最大級の生産を競った大田の石膏採掘や、各地の炭鉱に生かされました。たたらで生産された鉄、この地でとれる植物繊維を使う和紙、石見地方の粘土で生産される焼物や瓦、日本海の海産物の加工品である干物類などは、人々の生活が様々に規制されていた江戸時代よりむしろ、交易が自由になった明治時代以降、北前船などで次々に各地に出荷され、国内・外に市場が拡大していました。三瓶山麓では牛の放牧がおこなわれ、多くの牛市も開かれました。平地の少ない石見地方は他地域に比べて米はあまりとれませんが、人々は、地域にある素材を見出し、それを加工し付加価値を付けて、情報を収集し、仲間と協力し、勇気をもって、各地に販路を広げる努力をしていました。春・秋2度の彼岸市「中日っつぁん」は、大田を中心とするこの周辺地域が、かつて物資の生産と交易が非常に盛んだったことの名残りであると言えます。

このようにかつてこの地域は、新しいことに対して失敗を恐れずに挑戦する、進んで取ると書く「進取の気風」に満ちていました、そして、そのDNAはきっと、この地に生まれこの地に学んだ皆さんにも確実に受け継がれているはずです。実際に、岩谷産業の創始者、岩谷直治氏をはじめ、かつて多くの先人が、この大田高校その前身の学校に学び、果敢に地域で、国内で、そして世界で大きな挑戦をしてこられました。

皆さんも先輩方と同じように、自然の教えに学びながら、時勢の荒波に対し目をそらさず、それを新しい挑戦によって未来を切り拓く好機と捉え、「面白く」、そして信念を持って、仲間とともに立ち向かってくれることを期待しています。

 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。大田高校での3年間の高校生活を経て、お子様は心身ともにたくましく、頼もしく成長されました。どうかお子様の輝ける前途を温かく見守り、時には励まし、これからも支えていただきますようにお願いいたします。

 ご来賓の皆様、そして地域の皆様には、3年間にわたり、本校の教育活動推進のために、温かいご支援とご協力を賜りましたことをこの場をお借りして、教職員を代表して心から厚くお礼を申し上げます。今後も引き続き、お力添えのほど、よろしくお願いいたします。

 終わりに、この大田高校から旅立つ124名の卒業生の皆さん一人一人が、それぞれの世界でそれぞれの生きがいを見出し、「地域とともに未来を切り拓く」存在となり、その前途に陽光が差し続けることを願って式辞といたします。

 令和7年3月1日

島根県立大田高等学校   

 校長 阿部 志朗 

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